06 | 2025/07 | 08 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「もし世界を取るか、愛する女性を取るかを迫られた時。キミはどっちをとる?」
男なら、酒の席でも学生の集まりでも1回は話題に出たことがあるだろう究極の選択の1つ。
愛する人をとれば、世界は滅び、その人と2人だけで生きていかなければならない。
世界を取れば、その女性以外の全ての人々は助かるが、その女性とは永遠の別れとなる。
単刀直入に言えば、ボクは後者だ。
彼女を見捨て、世界を守る方を取る。
「世界を見捨ててでも、俺は愛する人と一緒にいたいんだ!!」
と言う人間は多いだろう。ifの話で考えれば、そっちの方が話的にキレイだし、盛り上がる。
だがボクにとってそれは考えられない、むしろヒドイ選択なんじゃないかと思う。
確かに自分が本気で好きな人がいるなら、大切にしたい、守りたいと感じるだろう。
だけど自分にとって、果たしてその人だけしか、大切な人はいないのか?
今まで生きてきてその人以外に守りたい、大事だと思った人はいないのか?
そうじゃないだろう。
きっとそうじゃないはずだ。
少なくともボクにはいる。
本当にお世話になった人たちが。
夜勤中、バカ話で盛り上がったバイトの先輩。
アイスをおごったら飛び上がるほど喜んでくれたバイトの後輩。
仕事終わりによくご飯をおごってくれた仕事先の上司。
小学校の頃、兄、姉、そして自分と、三代で世話になった先生。
自分が苦しかった時、何も言わずラーメンを奢ってくれた友人達。
そして・・・家族。
今まで生きてきたのはそんな人たちに囲まれていたからだ。そんな人たちがそばにいてくれたからだ。
「愛する人とその程度の関係の奴らを一緒にするな!!」
と言われたならば、それこそまさしくくだらない戯言だ。
これまでに出会った人々は、それらが全てかけがえの無い「大切」な人たちだ。
甘えじゃない本当のやさしさを、
弱さじゃない確かな強さを。
ボクはこの人たちから教えられてきたんだから。
だからこそ、ボクはそれらを見捨てて、1人を選ぶことは出来ない。
それに、これは希望的な観測だけど、
ボクが愛する人は。
ボクのこの選択を、きっと笑って受け入れてくれるはずだから。
彼女と共に、2人きりの孤独な世界に逃げるんじゃなく。
彼女を失った悲しみと共に、この世界を精一杯。幸せに生きてやるんだ。
ボクの愛する人はその選択が正しいと言ってくれる。
きっとそうゆう人に違いないんだから。
~今日の言葉~
「一緒に手をつないで うれしいことや かなしいことを くりかえして そうやって 歳を重ねていくんだよ」
-フルーツバスケットより
世界のために死ぬことができるの?
俺は、大切な人が多いからといって、
多くの人がより助かる方法を選ぶのに反対です。
俺は、愛する人が世界のために死ぬと決めても、
それを阻止するほど、わがままに生きたいと思います。
なので、俺が選ぶのは、
世界より彼女をとるのではなく、ただの逃避です。
あくまでもこれは「if」の話なんだから。
それに逆の立場だったらこそ、好きな人には生きて欲しいでしょう。
その時にならなきゃわかんないけど、愛する人がいるならその人には生きて幸せをつかんで欲しいと願うのが本音だろう。
ボクが愛する人はそれが出来る強さをもってる人だと信じたいかな。
まあこのへんは人それぞれだけどさ☆
強さで言うならば、世界を滅ぼすほどの強い愛があってもいいんじゃないかな。
愛の定義が人それぞれだと言われたらそれまでだけど、俺はトメの言うとおり好きな人には死んで欲しくない。
たしかに世界の為に死ぬ人をかっこいいと思う。
でも、強い人だとは思わない。
世界のために死ねるかって聞いたけど、トメの愛する人は、トメが死ぬのを笑顔で見届ける人?
俺が愛したいと思うのは、なりふりかまわず俺が死ぬのをとめてくれる人。
あっ
でも……死なないでって言われたら、つい世界のために死んでしまうかもしれない(笑)
自己犠牲の精神ほど醜い偽悪は無いとボクは思うしな。
「世界」ってゆうくくりにするからそう感じてしまうのはしょうがないけど、
あくまでも守りたいのは自分にとってその愛しているひと以外の大切な人たち。
もしその人以外に大切な人がいないってんなら迷わずその人をとる。
世界なんて目に見えないものを守りたいともおもわんし。
だが自分にとってそれら天秤にかけちゃいけないものを天秤にかけたらわずかながら右に、世界(周りの大切な人)にボクは傾いたってことで。
無論左に傾く人も大勢いるんだろうけど。
・・・結局どっちの意見も否定できないことには変わりないって事さね☆